新しいオキナワが始まる予感がここにある!
旋風を巻き起こしたオキナワン・ネオ・コミカル劇映画が
デジタルリマスター版で30年振りに復活!
沖縄ブームの火付け役となった『島唄』や『ちゅらさん』に先駆けて1992年に劇場公開され、あたらしい時代のオキナワ映画として話題を呼んだ『パイナップル・ツアーズ』がデジタルリマスター版として30年振りに復活! この後『ナビィの恋』が大ヒットする中江裕司監督をはじめとする当時20代の監督たちが紡いだ物語に、音楽は照屋林賢+りんけんバンド、出演は『ちゅらさん』の平良とみや沖縄芸能を代表するエンターテイナー・照屋林助といった沖縄現地の役者たちが結集したこのオムニバス映画は生き生きとした躍動感に満ちている。2022年に本土復帰50周年を迎える沖縄では、基地や環境、貧困の問題ばかりが注目されていますが、『パイナップル・ツアーズ』全編にみなぎる力強い明るさは今まさに必要なものと言えるだろう。
日本のはるか南に存在する沖縄の離島・具良間島ぐらましま   
そこには、第二次世界大戦中にアメリカ軍が落とした不発弾が眠っている
この島を舞台に繰り広げられる、3つのエピソードから成るドタバタ活劇!
この痛快作を生み出したのは、本作で劇場公開デビューを果たすことになる当時20代の3人の監督たち。沖縄生まれの真喜屋力と當間早志、大学入学後にどっぷり沖縄にハマった中江裕司は琉球大学映画研究会で出会った。架空の島・具(ぐ)良(ら)間(ま)島(しま)を舞台に、アメリカ軍の不発弾を巡って繰り広げられるオムニバス活劇は3本のエピソードから成り、それぞれを一人ずつ監督として担当しているが、モチーフや登場人物はしばしばエピソードを横断して顔をのぞかせてくる。この不可思議な、しかし有機的で魅力あふれる物語を成功させられたのは、沖縄独特の“テーゲー(いいかげん)”感覚と、本土復帰と同時期に生まれた世代だからこその“沖縄と日本”を巡るアンビバレンツな視点によるものかもしれない。
ストーリー
謎の病で声が出なくなったオペラ歌手の麗子は、ユタ(占い師)に原因を占ってもらうために、大学生の娘・由美子と具良間島に里帰りする。麗子の乗る船に同乗する巨大なパイナップルのハリボテを心待ちにしているのは、島を観光で盛り立てようと目論む比嘉。しかし、村長も助役もあまり乗り気ではない様子だ。
由美子の幼なじみ・幸雄が運転する軽トラックでユタのツルの家に行く途中、97歳を祝うカジマヤーの一行に出くわすと、麗子の瞳が一瞬輝く。ユタのツルが言うには、麗子の父親はアメリカの兵隊で、先の戦争の時この島に不発弾を落とした。その不発弾を探し出せば声は元通りになるという。
不発弾の話はあっという間に島中に広がった。不発弾があるのではオチオチとホテルなど建てられない。村長と助役は、比嘉のホテル誘致の話にますます渋い顔をする。
夜、浜で三線を弾く幸雄と由美子。幸雄は未知なるメロディーを模索している。そこへ倒れ込んできたのは、空墓をねぐらにしている酔っぱらいのサンラー。サンラーは不発弾の場所を知っているという。由美子、幸雄、麗子はサンラーとともに不発弾が落ちたという場所へ向かったのだが、サンラーは不発弾の場所までたどり着く前に急死してしまった。
サンラーの死んだ夜、ツルは爆弾はこの島の神様が守っているという夢を見た。爆弾騒ぎでホテル誘致は見送りになり、比嘉はすっかり途方にくれる。麗子と由美子が本島に戻る日、麗子のもとにカマドお婆が歌を聴かせろとやってくる。最初は首を横に振る麗子だが、意を決して歌い出す。聴こえぬはずの麗子の歌声は人々を魅了し、幸雄は三線を取り出し、聴こえぬ歌声に耳を澄ましながらメロディーを弾き始める。
監督
真喜屋 力(まきや つとむ)
1966年沖縄県那覇市生まれ。菜は高校時代、當間早志とビデオ作品『闇の生徒会』を共同制作。琉球大学映画研究会に入部後、8ミリ作品を撮り始める。『パイナップル・ツアーズ』公開後、ミニシアター「BOX東中野」 のスタッフを経てその後フリーとなり、テレビアニメのディレクターとして台湾で活動。2005年より沖縄のミニシアター「桜坂劇場」のディレクターを務める。現在は沖縄のデジタルアーカイブ協議会を立ち上げる活動と並行して、映像やアートに関わる。
キャスト
麗子おばさん
アメリカ軍人の父、島出身の母をもつオペラ歌手。原因不明の病で声が出なくなり、娘・由美子と一緒に里帰りしてユタ(占い師)に占ってもらう。
兼島 麗子(かねしま れいこ)
1948年生まれ。沖縄オペラ界の第一人者であり『ウンタマギルー』でもその素晴らしい歌声を披露した。『パイナップル・ツアーズ』出演のきっかけは、とある映画の撮影で知り合った真喜屋力と路上で偶然再会したこと。その場で映画出演の申し出を承諾したことから「麗子」が誕生した。
由美子
麗子の娘。母に付き添って久しぶりに島に里帰りした。同級生だった幸雄や、後輩のいずみ&やよいとの再会を楽しむ間もなく、不発弾探しに巻き込まれる。
富田 めぐみ(とみた めぐみ)
1973年生まれ。ラジオ沖縄「ROKヤングシャトル とんでもHAPPEN」でDJとしても活躍していたところ、由美子役にはオーデションで選ばれた。現在はラジオパーソナリティ、舞台演出家等、幅広く活動中。
幸雄
「百年に一人の天才」と評判の若手三線奏者だが、自分のメロディーを求めて苦悩している。同級生だった由美子に対してほのかな恋心を抱いている。
新良 幸人(あら ゆきと)
1967年生まれ。石垣島・白保出身。八重山民謡の三線の名手だった父の影響を受け、早くから演奏活動を始める。小学校6年生で八重山古典音楽コンクール・一般の部で新人賞を受賞、高校3年生で最高賞を受賞。現在は自身のバンド「パーシャクラブ」やアコースティック・パーシャのヴォーカル&三弦奏者として、また同じパーシャクラブの太鼓、仲宗根哲(サンデー)と2人での活動も平行して行っている。
ストーリー
リンスケとタル―の連絡船が島に到着する。乗っているのはヤマトから具良間島に流れてついて、そのままなんとなく居ついてしまった青年・ヒデヨシ。島の年寄りたちは、ヤマトから来たこの青年をなんとか島の人間にしようと、島の娘・春子とくっつけたいと画策している。
方言のわからないヒデヨシはそんなこととはつゆ知らず、まんまと春子に「シロミキヨ」(男女が二人でお参りすると必ず子宝に恵まれるというお社)まで連れていかれ、一緒にお参りしてしまう。
夜、浜でリンスケ、タル―と一緒に酒を飲んでいたヒデヨシは、二人にけしかけられて春子に夜這いをかけに向かう。春子の祖母・ナベは隣の部屋にいて二人の様子を聞いていたが、安心したのか胸をかきむしりながら息絶えた。ナベの葬儀では、春子の横にヒデヨシが寄り添っていた。
ヒデヨシは春子のもとから逃れるため島を出ようとするが、港で見つかり妊娠したことまで告げられる。次第に春子のお腹は大きくなり、ヒデヨシの意に反して島総出での結婚式の準備が着々と進められ、ついに結婚式当日を迎えた。
台風の前触れの強い強風の中、ヒデヨシと春子の結婚式がにぎやかに開催される。宴たけなわで風が強くなり、皆が家の中に避難したところを見計らってヒデヨシは式場から逃げ出す。
強風の中、島を右往左往するヒデヨシだったが、騒動の最中に春子が産気づき、ヒデヨシ共々家に運び込まれる。外は台風の嵐、ヒデヨシは暗い家の中で、無事子どもが生まれるのをじっと待つのだった。
監督
中江 裕司(なかえ ゆうじ)
1960年京都生まれ。琉球大学入学後、沖縄と映画に魅せられる。琉大映画研究会で数多くの8ミリ作品を製作し、大学卒業後は映画製作集団「パナリ・ピクチャーズ」を結成し、代表となる。『パイナップル・ツアーズ』公開後、『パイパティローマ』(94)、『ナビィの恋』(99)、『ホテル・ハイビスカス』(02)、『白百合クラブ 東京へ行く』(03)といった沖縄を舞台にした映画を次々と発表、現在も映画、テレビを舞台に精力的に製作し続けている。沖縄・桜坂劇場の復活にも尽力、劇場を運営する「株式会社クランク」の代表取締役社長を務めている。
キャスト
ヒデヨシ
ヤマト(日本)からやってきた青年で、島では郵便配達の仕事をしている。島の娘・春子と百発百中の神様(?)・シロミキヨにお参りしたことで、大きく運命が変わることとなる。
利重 剛(りじゅう ごう)
1962年横浜生まれ。高校時代から自主制作映画を作り始め、テレビドラマ『父母の誤算』で俳優デビュー。岡本喜八監督『近頃なぜかチャールストン』(81)で共同脚本、助監督、主演をこなし高い評価を得て、その後も監督と俳優どちらも精力的に活動を続けている。主な監督作品に『ザジ ZAZIE』(89)、『エレファント・ソング』(94)、『BeRLiN』(95)、『クロエ』(01)』。
春子
ヒデヨシを好きになる島の娘。父母を亡くし、一人でナベ婆さんの世話をしている。島の長老たちの策略が成功して、ヒデヨシの子どもを身ごもる。
宮城 祐子(みやぎ ゆうこ)
1965年生まれ。那覇市出身。沖縄の情報誌「月刊おきなわJOHO」創刊当時よりエディトリアルディレクターとして活躍、全国誌の沖縄コーディネーター、エッセイスト等多彩な顔を持つ。本作で映画初出演、琉装が似合う沖縄美人ということで春子役に抜擢された。
ナベ
春子の祖母。「春子とヤマトから来たヒデヨシさんが夫婦になって、この島で暮らしていきますように」とご先祖様にお祈りする。
名嘉 トミ(なか とみ)
ロケ地・伊是名島生まれ。島で雑貨店を営んでいたところ、中江監督の強い希望でナベ役に抜擢された。
ストーリー
ある日、具良間島に東京のリゾート開発会社「富士菊ちょうちんグループ」から美人ディベロッパー・スギモトがやって来る。彼女は「不発弾に1億円の懸賞金を」という新たな方針と懸賞金の1億円とともにやって来たのだ。ホテル誘致が見送りになり、少々頭がおかしくなっていた比嘉はこの数年来、島中に穴を掘り不発弾を探し続けている。
「爆弾小僧」なるパンクバンドでめちゃくちゃな曲を披露しているアキラと夏子のコンビも、懸賞金に目を付ける。二人は比嘉をおどして不発弾のありかを探るが、比嘉は全く役に立たない。
懸賞金に釣られてヤマトからやって来た観光客で、島は今までになく賑わっている。デイゴ広場のブラジルターコスもいつのまにか「富士菊ちょうちんグループ」に買収され、観光客でいっぱいだ。そこに現れたアキラは、爆弾のハリボテを持ち込み観光客をパニック状態に陥れる。広場が大騒ぎの隙に、夏子が村長室から1億円を持ち出して逃げ去ろうとする。アキラ、夏子、スギモトらがすったもんだしている頭上を、1億円がはいったアタッシュケースを載せたライトプレーンが飛び立つ。ライトプレーンに乗っていたのは意外な人物だった。アタッシュケースから溢れたお札が空を舞い、地上の人々の元へと降り注ぐ。
監督
當間 早志(とうま はやし)
1966年生まれ。那覇市出身。那覇高校時代より真喜屋力とコンビを組み、琉大映画研究会に入部後は本格的に創作活動に入る。『パイナップル・ツアーズ』公開後は地元・沖縄で活動、現在はNPO法人「シネマラボ突貫小僧」に運営。監督作に『琉球カウボーイズ、よろしくゴザイマス』(2007年)など。著書に『沖縄まぼろし映画館』。
キャスト
アキラ
カマドお婆の孫。幼なじみの夏子とともにパンクバンド「爆弾小僧」を結成。ロンドンでデビューすることを夢見て、富士菊ちょうちんグループのスギモトと対峙する。
津波 信一(つは しんいち)
1971年生まれ。「笑築過激団」のメンバーとして活動している中で本作に参加し、その後も中江裕司監督作品に続けて出演。現在は沖縄県内で俳優や演出家、ラジオDJなどマルチに活動している。
夏子
アキラと組んで「爆弾小僧」で活動しているパンク少女。「いいよ、もう解散しよう!」が口癖だがアキラが大好きで、アキラの無茶な作戦に協力する。
仲宗根 あいの(なかそね あいの)
1971年生まれ。当初「爆弾小僧」は男性二人組の予定だったが、オーディション会場に現れた彼女を見たスタッフ全員一致で夏子役に抜擢、アキラと夏子のコンビが誕生した。『パイナップル・ツアーズ』が映画初出演。
スギモト
日本のリゾート開発会社「富士菊ちょうちんグループ」から派遣された敏腕ディベロッパー。ホテル建設促進のため、村長と助役を味方につけ暗躍する。
洞口 依子(どうぐち よりこ)
1965年生まれ。東京出身。『ドレミファ娘の血は騒ぐ』で鮮烈なデビューをして以来、数々の映画、テレビドラマに出演。主な作品に『タンポポ』(85)、『マルサの女2』(88)、『あげまん』(90)、『CURE』(97)等ほか多数。
カマド
アキラの祖母。耳は遠いが超元気なお婆。里帰りした麗子を嬉しそうに迎え、「昔みたいに歌を聴かせて」とお願いする。
平良 とみ(たいら とみ)
1929年生まれ。那覇市出身。本作制作当時、既に沖縄芝居の大御所であった。『パイナップル・ツアーズ』公開後、中江裕司監督『ナビィの恋』(99)、NHK連続テレビ小説『ちゅらさん』(01)で一躍有名になった。他、主な出演作に『ウンタマギルー』(89)、『パイパティ・ローマ』(94)、『ホテル・ハイビスカス』(02)等、他出演多数。
リンスケ
連絡船“かすみ丸”の船長で、島の三線名人。いつも相棒のタルーと、港や広場で即興セッションをしている。何かと住民と絡むことが多い。
照屋 林助(てるや りんすけ)
1929年生まれ。大阪出身。戦後の沖縄の娯楽・芸能をリードした沖縄ポップカルチャーの第一人者。前川守康とコンビを組んだ「ワタブーショー」(沖縄流ミュージカル漫談)で一世を風靡した。
タルー
リンスケの相棒で太鼓の名人。いたずら好きで、ヒデヨシに「今日は大潮だから本島まで歩いて行ける」と堂々とウソをついたりと人々を煙に巻く。
仲本 興次(なかもと こうじ)
1935年生まれ。照屋林助率いる「まーにんねーらんバンド」のメンバー。本作では映画初出演とは思えない、味のある演技を披露している。
比嘉
富士菊ちょうちんグループに雇われた地上げ屋。パイナップルの大きなハリボテとともに島に乗り込むが、不発弾探しに明け暮れるうちに様子がおかしくなってくる。
藤木 勇人(ふじき はやと)
1961年生まれ。コザ出身。笑築過激団のメンバーを経て、照屋林賢率いるりんけんバンドのボーカルを務めていた。現在は沖縄噺家、俳優、コメディアン、沖縄方言指導者、琉球文化研究者など、幅広い顔を持つ。
ツル
島のユタ(占い師)で、兼元商店の主人でもある。麗子の病気の原因が“島のどこかに埋まっている不発弾”と占った。春子とヒデヨシの婚姻も画策。
吉田 妙子(よしだ たえこ)
1935年生まれ。沖縄芝居の歌劇にはほとんど出演しているという大ベテラン。主な出演作品に『ウンタマギルー』(89)、『遥かなる甲子園』(92)、『GAMA 月桃の花』(96)、『MABUI』(98)、『ナビィの恋』(99)、『ホテル・ハイビスカス』(02)等、他出演多数。
サンラー
空き墓で生活している島のアウトサイダー。前の戦争の記憶、アメリカ軍の空襲の記憶に怯え、いつも酒を飲んで酔っ払っている。
北村 三郎(きたむら さぶろう)
1937年生まれ。北谷村出身。沖縄芝居の重鎮で、劇団「ときわ座」「大伸座」「潮」の旗揚げに参加。沖縄県内だけでなく、本土、中国、北米、南米等でも公演を数多く行う。主な映画出演に『パラダイスビュー』(85)、『ウンタマギルー』(89)等。
村長
てーげー(いいかげんな)感覚に優れた村長。中央の方針が観光開発から自然保護重視に変わると、自身もコロッと態度が変わる。
新垣 正弘(あらがき まさひろ)
1956年生まれ。東京で数多くの舞台に出演したあと沖縄へ戻り、劇団「潮」に参加。その後は「笑築過激団」に所属し、独立後は沖縄の伝統的なウチナー芝居や琉球歌劇等で幅広く活動している。
助役
村長の相づちばかり打っている能天気な助役。不発弾探しのために島中に穴を掘り始めた比嘉を、目の敵にしている。
普久原 明(ふくはら あきら)
1958年生まれ。那覇市出身。広告代理店勤務後「笑築過激団」に所属し、その後は自身が代表となる「劇団公設市場」を旗揚げ。テレビ、映画の出演多数。主な映画出演に『涙そうそう』(06)、『洗骨』(19)。
いずみ
ユタ(占い師)・ツルの娘。おしゃべり好きで、やよいとはゆんたく仲間。起きている時も寝ている時も、食べ物のことばかり考えている。
喜舎場 泉(きしゃば いずみ)
1968年生まれ。与那原町出身。短大卒業後「笑築過激団」に入団。沖縄方言を使った漫才やコントで注目された。その後、本作に共に出演した小波津やよいとお笑いコンビ「泉&やよい」を結成し、現在も活動中。
やよい
いずみの親友。痩せ型で神経質そうだが、実は何事にも動じない強固な性格の持ち主。いずみとはゆんたく仲間。
小波津 やよい(こはつ やよい)
1969年生まれ。西原町出身。短大卒業後「笑築過激団」に入団。沖縄方言を使った漫才やコントで注目された。その後、本作に共に出演した喜舎場泉とお笑いコンビ「泉&やよい」を結成し、現在も活動中。
アルベルト上原
島からブラジルに移民したウチナンチュ三世。祖父が生まれた島に帰ってきて「ブラジル・ターコス」を開店し、島の人気者になっている。
川満 聡(かわみつ さとし)
1970年生まれ。浦添市出身。県内のローカル誌でライターとして活動後、「笑築過激団」に入団。現在は県内を中心に、テレビやラジオ、舞台等で活躍している。
ジャーラー=ユリア・ティーゴ
「ブラジル・ターコス」で働くブラジル人。大好物のヒ―ジャー(山羊)がたくさんいるこの島を気に入っている。
ユリア・ティーゴ
ジャマイカ出身。日本語勉強のために留学、アルバイト先の東京のレストランで働いていたところ、スカウトされて出演した。
「沖縄ブーム」という言葉をよく耳にするようになった。りんけんバンドやネーネーズのコンサートはもちろん、渋い沖縄民謡のコンサートも、東京では超満員の盛況である。観客の多くは若い世代。1月から2月にかけて国立博物館で開催された、復帰20周年記念特別展「沖縄の歴史と文化」も大盛況だった。ヤマトの人々がこれほど沖縄に引き付けられるのは、オリジナルの文化を堂々と、しかも軽々と楽しんでいるウチナーンチュがうらやましいほど魅力的に見えるからだろう。3人の監督は、琉球大学映画研究会で出会った仲間。一番年上の中江裕司さんが31歳で、真喜屋力さんと當間早志さんは1966年生まれで今年26歳という若さだ。
中江「今までずっと3人でやっていかたから、3人同時にデビューできる企画を考えて、今回のようなオムニバスになりました。オムニバスなんだけどストーリーはずっと続いている。続きながらも、3本がそれぞれ個性を発揮している。こういう形は僕らにしかできないなって思ったんです。3人が協力しないとできないですからね」
中江さんが言うように3本はそれぞれ個性的で、ストーリーの続いた長い一本の映画を見たような充足感とともに、オムニバス映画の楽しさが味わえる作品になっている。しかし、この方法、けっこうたいへんだった。
中江「脚本でもね、お互いの影響がある。第1話で作ったキャラクターは、第2話第3話でも使わないといけない。それに対して僕はいやだとか、自分はこうしたいとかね、やっぱりあるんですよ」
真喜屋「別のプロジェクトを組んでいれば頭の切り替えもできるんだけど。パートとパートの切り替えが大変でした」
當間「まあ、そこは適当に」
中江さんが言うように3本はそれぞれ個性的で、ストーリーの続いた長い一本の映画を見たような充足感とともに、オムニバス映画の楽しさが味わえる作品になっている。しかし、この方法、けっこうたいへんだった。
中江「脚本でもね、お互いの影響がある。第1話で作ったキャラクターは、第2話第3話でも使わないといけない。それに対して僕はいやだとか、自分はこうしたいとかね、やっぱりあるんですよ」
真喜屋「別のプロジェクトを組んでいれば頭の切り替えもできるんだけど。パートとパートの切り替えが大変でした」
當間「まあ、そこは適当に」
言うことも個性的。
学生時代に作っていた自主制作映画とは、けた違いに大勢のスタッフを仕切る現場の苦労も多かったようだ。自分が演出する番になると、3人が3人とも口内炎になったという。「神経使うと、口内炎になるんだなあ」。でも、どんなに大変でものびのびしているのが若さのいいところ。島人との楽しいエピソードも疲労してくれた。ロケ地・伊是名島の公民館をカラフルに塗り替えて、具良間島役場として使ったのだが、
真喜屋「村の中でクルマを運転してると、おばあちゃんがヒッチハイクしてくるんですよ。で、「おばあちゃん、公民館の色変えてへんでしょ」って言ったら「うーん、きれいんなってよかったさあ」って。そのくせ、撮影終わって僕らが島を出るころになったら「ちゃんと白く戻しといてよ」だって。おばあは、その場その場で生きてるからなあ」
おばあたちのパワフルぶりは、3人とも口をそろえて讃えるところだ。
エキストラとしても島のお年寄りが大勢参加している。しかし、映画の撮影には待ち時間がつきもの。暑い中を1時間2時間と待ってもらうこともある。おばあ達は、もちろん文句を言うのだが。
真喜屋「協力をお願いする係がいるんですけど、その子が何回文句を言われても頼みに行ってくれて。撮影の時に僕が「おばあちゃん、ありがとうね。来てくれて」って言ったら「あの子が涙流して頼むんだもの、もう。来ないといけん。泣きそうだのに」って。最後の打ち上げパーティーでも「俺、文句は言うけど楽しかったよ」って言ってくれた人がいて」
撮影中は、ベテランの役者達にもずいぶん助けられたそうだ。特に、テルリンこと照屋林助さんは、待ち時間におなじみのCMソングを歌って、みんなの気持ちをほぐしてくれたというからさすがだ。林助さん以外でも『パイナップル・ツアーズ』には沖縄芝居の役者たちが出演している。平良とみさんは、小柄だが堂々とした体の、これぞ沖縄のおばあといった雰囲気を漂わすベテラン女優。麗子おばさん役のオペラ歌手・兼島麗子さん、オーディションで選ばれた新人の富田めぐみや仲宗根あいのさんなど、魅力いっぱいの女優陣。また、笑築過激団からは人気者の川満シェンシェイをはじめ数名が出演。ポップで楽しい映画になった。
本土の役者としては、利重剛さんと洞口依子さんという個性派が参加。ウチナーンチュはウチナーンチュが演じ、ヤマトンチュはヤマトンチュが演じるという、シンプルでまっとうな仕組みなのだ。だから見ていて、おかしなギクシャク感がない。
真喜屋「この映画は、古いものから新しいものから全部ごっちゃにして、何ができるかをやってみたかった。出演者もベテランから素人からいろいろです。いろんな世代の人が楽しめる映画になったと思います。若い世代も年寄りもそれぞれが、今までに見たことがなかったものを見て、それをおもしろいと思ってくれたらいいな」
ところで、真喜屋さんと當間さんは高校も一緒。那覇生まれの那覇育ちだ。映画の編集作業のために、東京で初めて3カ月以上も暮らした。東京にいると、本土と沖縄の違いをひしひしと感じる毎日らしい。どういう風に違うんですか? 「人間が違う。見るからに顔が違う。日本人がいっぱいいるなって思うんですよ」「電車なんか乗ると、みんなテレビドラマみたいな言葉でしゃべってるしなあ」。住むにはやっぱり沖縄がいい、という二人。ウチナーンチュの若者として、最近の沖縄ブームをどんなふうに捉えているのだろうか。
當間「もの珍しいから注目されているんでしょう。東京にいると、自分たちはここでは特殊なんだってやっぱり思います。区別されたら、嫌われるか好かれるかのどちらかだと思うけど、僕らの場合は気に入られてるみたいだからラッキー。今、沖縄では、伝統をただ受け継ぐのではなく、それを料理して新しい何かを生み出していく動きが生まれてるんじゃないかと思う」
映画に関して言えば、沖縄で映画を作ること自体が新しいとも言う。
當間「沖縄映画っていうジャンルとして作ってもいいんじゃないかと思った。沖縄っていうと、海がきれいで人情が豊かっていう決まったイメージで捉えられがちだけど、そうかなあって思うんです」
真喜屋「日本映画っていうひとつのカテゴリーにはめ込みたくない。枠をとっぱらって見てもらいたい」
中江「とにかく沖縄を全面に出そうというのはないんです。沖縄の人間が作るんだから、沖縄を特に意識しなくても出るものは出るでしょう?」
今の沖縄から飛び出した、若くのびやかなパワーに期待しよう。
プロデューサー:代島 治彦(だいしま はるひこ)
1958年、埼玉県生まれ。映画監督、プロデューサー。1992年に『パイナップル ツアーズ』を製作。監督作品に『三里塚に生きる』(14)、『三里塚のイカロス』(17/毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞受賞)、『まるでいつもの夜みたいに〜高田渡東京ラストライブ〜』(17)、『きみが死んだあとで』(21)がある。
撮影:一之瀬 正史(いちのせ まさふみ)
1945年生まれ。山梨県出身。日本大学芸術学部映画学科中退後、若松プロの作品に撮影助手として参加。『ねじ式映画】(68)、『パルチザン前史】(69)、『水俣―患者さんとその世界』(70)などに撮影助手として参加し、『わが街わが青春―石川さゆり水俣熱唱』(70)で撮影監督デビュー。主な参加作品に『パイパティローマ』(94)、『アレクセイと泉』(02)、『ナミイと唄えば』(06)、『アラヤシキの住人たち』(15)等。
録音:滝澤 修(たきざわ おさむ)
1956年岩手県生まれ。東陽一監督の作品の録音助手として活動。その後、録音チーフとして羽田澄子監督『安心して老いるために』(90)、ジャン・ユンカーマン監督『老人と海』(90)などドキュメンタリー映画に参加。『パイナップル・ツアーズ』(92)で劇映画に進出後、是枝裕和監督『ワンダフルライフ』(99)、岩井俊二監督『リリイ・シュシュのすべて』(01)などを手がけ、日本映画界を代表する録音マンとして活動している。
美術:和宇慶 文夫(わうけ ふみお)
1949年生まれ。コザ市(現・沖縄市)出身。琉球大学美術工芸科中退。「笑築過激団」結成に参加し、多くの舞台美術を手掛ける。
音楽:照屋 林賢(てるや りんけん)
1949年生まれ。コザ市(現・沖縄市)出身。高校の頃からアメリカ兵相手のクラブで演奏。その後上京し、クラブ・バンドのメンバーとして活動するが、次第に自分の中の沖縄を強く意識するようになり73年に帰郷。82年に「りんけんバンド」を結成。90年に『ありがとう』で本土デビューし、沖縄音楽という位置づけにとどまらない、アジア的要素を持ったミュージシャンとしての評価を確立した。
『パイナップル・ツアーズ デジタルリマスター版』
(2022/日本/118分/カラー/5.1ch/DCP)
企画・製作:スコブル工房、パナリ・ピクチャーズ、琉映
総合プロデューサー: 代島治彦
監督・原案・編集: 真喜屋力、中江裕司、當間早志
撮影監督: 一之瀬正史/撮影助手:山田武典、奈須重樹
録音: 滝澤修/録音助手:酒井信之、田中勉
美術監督:和宇慶文夫/美術制作:照屋林次郎/美術助手:武富吉実、濱村喜代美、知念淳子、名城真辰、吉野潤、玉城保喜、宮城健
照明:伊波国治、伊礼康弘/照明助手:仲田豊、藤本理
音楽監督:照屋林賢/音楽プロデューサー:伊藤康雄/音楽演奏:りんけんバンド、OTO(ギター/ウクレレ)、姜建華(二胡)/ミキシングエンジニア:後藤昌司/エンディングテーマ「黄金三星」作詞:照屋林助、作曲:照屋林賢、唄:上原知子
特機:大城正行/衣装:太田順子/衣装助手:野尻晴子/ヘアメイク:市川千木良
助監督:岸本司/監督助手:古波倉新子/記録:中江素子/スチール:岡本衛、石井和彦、大西暢夫
方言指導:玉城満/ウルトラブレーン:安次嶺勉、野波正明
ネガ編集:高橋辰雄/音響効果:帆苅幸雄/音効効果助手:岡瀬晶彦、田中邦子、丹雄二/スタジオエンジニア:荒井富保/タイミング:三橋雅之
制作主任:嘉手川学、又吉演/制作助手:中村渠綾子、桃原里奈、上里忠司、大城優子、城間伸子/車両班:宮平勉、赤池敏生、仲村まゆみ/食事班:伊藤真理子、佐藤美枝子、菅野仁央子、又吉究/ロケーションコーディネイト:東江章
撮影機材:映像サービス/特殊機材:不二技術研究所/照明機材:ロケーション、ファースト、AND OKINAWA フィルム、日本コダック

〈協力〉
伊佐重盛/一澤ひらり/伊禮正哲/市原啓子/上地哲/岩戸佐智夫/垣花辰勇/上江洲正/金城一郎/金城慶子/篠原章/黒柳満/垂水健吾/高倉倉吉/仲田竹男/仲田初江/仲田栄二/名嘉睦稔/橋本邦彦/西江弘孝/本橋成一/銘苅森茂/レベッカ・L・フォーマン/山上徹二郎/伊是名村役場/沖縄県伊是名村のみなさん/伊是名村教育委員会/伊是名村商工会/伊是名村漁業協同組合/伊是名村農業協同組合/伊是名村村立小学校/伊是名村村立中学校/伊是名村村立第一・第二保育園/伊是名村村立幼稚園/沖縄電力伊是名電業所/伊是名酒造所/特別養護老人ホームチジン園/字伊是名婦人会/伊是名建設/東江建設/海邦建設/東江電工/大洋重機/高宝建設/仲田建設/東和建設/諸見建設/サクモト建機/国場組火薬部/兼元商店/泉商店/名嘉商店/森商店/喜納商店/かみやま製菓/きくや旅館/民宿なか/民宿ときわ/民宿いずみ/マリンハウスなか/福寿し/居酒屋珊瑚礁/いぜな屋/ビューティサロン東江/今帰仁村商工会/勝連町商工会/今帰仁建設/本部町漁業組合/オキコ商事/プリマートキング今帰仁店/万国百貨店/染元寿司/松田ふとん店/仲嶺舞踏小道具店/マエハラ・エンタープライズ/バンシハン/リッチグリーン/ホテルムーンビーチ造園部/リウボウ・インダストリー/沖縄青年会館/サン・エージェンシー/プロジェクト・コア/アドバイザー/笑築過激団/おきなわJOHO/ハーベストファーム/リンボーハウス/ブルースカイ/東京沖縄県人会/赤井電機/自由工房/ティスマン・サービス/イースト&ウエストビジョン/WAVE/六文銭ファクトリー/川喜多記念映画文化財団/ポレポレタイムス社/映画サークル“突貫小僧”/スタジオスーパーコンパス/“Pas De Chat”/“D GRACE”/“Market One”/“SYSTEM AAK COLECA”/“OUTER LIMITS CO”

〈特別協力〉
沖縄県経済農業協同組合連合会/大扇会/エアー沖縄/シグロ

〈92年公開時〉
宣伝プロデューサー:上原力/制作宣伝:野田隆司、玉城優子/タイトル制作&宣伝美術:岩繁昌寛、川尻安信/タイトル撮影:菁映社/字幕制作:日本シネアーツ社/現像:IMAGICA/音楽録音スタジオ:SEDIC SUTDIO/仕上げスタジオ:アオイスタジオ

〈デジタルリマスター版〉
DCP制作:アテネフランセ文化センター/宣伝美術:HOOH(中村友理子)/宣伝:テレザ/配給:ノンデライコ

〈クラウドファンディング 特別協力〉
松本CINEMAセレクト